いつまでもずっと

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【アニメ】さらざんまいにおける愛と欲望について


こんばんは!もずです。

 

アニメ「さらざんまい」の放送終了から1週間たちました。

 

久々に毎週次回が気になって、最終回もすっきり気持ちよくみることができたアニメでした。

この観終わった後のすっきりした感じは幾原作品のなかでは(個人的に)珍しいんじゃないかと思っていて、あまりにもすっきりとしていてもう今週からさらざんまいがないのかと若干ショックめいたものも感じます。

幾原作品に考察はつきものですが、あいにく自分には考察できるほどの知識も教養もあまりないので、単純にこの全11話を観て、どう受け取ったのかを書いていきたいと思います。

手放すな欲望は君の命だ

さらざんまいのキャッチフレーズとなっているこの言葉。さらざんまいの話は終始これに尽きると思っています。

 

最終話ではいままでのサブタイを回収する形で繋がりたいけど○○が繰り返され、そこには様々な困難があるけれども繋がりたいから諦めないというとてもエモーショナルなシーンがあります。

 

そこからは繋がることを求め続けなければ人は生きていけないというメッセージを感じ取ることができます。

サラちゃんは作中で「世界はいま再び試されようとしています。つながっているのか。つながっていないのか。」という台詞をいっており、繋がれなかった場合に訪れるのが黒ケッピ=絶望なわけです。

 

ニンゲン=ジンカンなんていうのはよくいわれる話で自己というのは他者の存在ナシには存在し得ない、だからこそ他者とのつながりを諦めてはいけないというシンプルかつ力強いメッセージを感じました。

繋がるってどういうことなのか

じゃあこの繋がることを諦めるなというシンプルなメッセージがさらざんまいにこめられたか…僕はそれを「繋がり」に関して視聴者に改めて考えて欲しかったからだと解釈します。

 

なぜなら、今はSNSで不特定多数の方と簡単に繋がれて、たくさんの情報にすぐにアクセスできる時代だからです。

簡単に繋がることができるということは簡単に繋がりを絶つこともできるということも意味するのではないか、ボタン一個でつながり、ボタン一個でブロックしてさよなら~大げさではあるかもしれませんがそんな関係性の中で僕らは成り立っているのかもしれません。

 

主役の3人は秘密を互いに漏洩して衝突しつながっていきます。

今のような時代だからこそ互いにさらけ出せるような繋がりをてばなすなということがひょっとするとメッセージなのかもしれません。

 

話はそれますが以前インタビューで幾原さんが、脚本家や声優志望の子と話すときに本を読まないのが残念だと話している記事を見かけた記憶がありまして…真にふれる、踏み込むというのを大事にしてほしいという気持ちが監督の中にあるのかもしれません。

欲望か愛か

タイトルにした欲望と愛の話にはいっていきますが、「手放すな欲望はきみの命だ」というキャッチフレーズそして、繋がりを求め続けよ(手放すな?)という僕が感じ取ったメッセージ。

 

では繋がり=欲望なのか…というとそうではないと思います。

 

この作品を見ていた当初、欲望か愛かという玲央の台詞。そして欲望のときに出るカワウソマークと愛のときにでる○アのマーク。これにより欲望と愛の二項対立の話なのかなと思っていました。

 

愛VS欲望がカッパVSカワウソになり、愛をアガペー欲望をエロースに例え、その対立構造にどういう落としどころをつけるのであろうか…みたいな。

 

ただ、通してみると欲望が一方通行な思いでそれが双方向になると愛へと昇華するという感じなのではないかという印象を持ちました。

 

カッパ側である燕太も途中まではもしかして一希に対して持っている感情は欲望だったのかもしれない。けれどどんな一希だって受け入れると発言します。自分からの発信だけでなく相手を受け止める姿勢もあったわけですね。

 

一方玲央はあんなのは真武じゃないと受け止めることができなかった、ここに愛と欲望の差があるのではないかと。ただ欲望がないと愛は生まれないしそこに痛みはともなうかもしれません。

 

一希たちにも衝突はあったし真武にいたっては爆発しちゃいましたが、そういった苦難を乗り越えたところに愛はあるのかもしれません。

 

なので欲望を手放さなかったものが愛を、繋がりを掴み得るということなんだと受け止めています。

最後に一希達とレオマブについて思うこと

考察でもなんでもないですが、観て何かを思わざるを得ない力がさらざんまいにはあったと思います。

いろんな方々の考察や、感想をこれからも見て色々な価値観に触れていきたいですね。

 

最後に個人的に気になった一希達とレオマブの対比について、物語的にいえばグッドエンドとバッドエンドを迎えた者たちについてですね。

まぁ最終話で普通に復活してるから代償がでかかっただけでバッドエンドではないのかもしれませんが…

 

レオマブにしろカパゾンビにしろ誓にしろ命を失ったのは大人たちばかりなのがまず少し気になります。

確かに、大きくなればなるほど人はしがらみにとらわれさらけ出すことがしづらくなります。

 

そういえば昔はデパートのおもちゃコーナーで簡単に友達できてたのにいまとなっては…なんて自分でも思ったり。

そういう意味では大人というのはつながりづらい生き物なのかもしれませんね。

 

あと、一希達が3人であることに対しレオマブは2人なんですよね。

真武が死に、玲央が銃弾に倒れることで二人はようやくまるい円で繋がれました。なかなかに壮絶ですよね。こじつけくさいですが、1対1の関係を結ぶとイメージとしては線になるような気がして…

人の縁が繋がってまぁるい円になるなんて言葉もありますが、1対1で繋がるのは難しいものなんですかね…なんてぼんやり気になったりしてます。

 

まぁ物理的に円でつながれたんでそこはあまり関係ないのかもしれませんが…

 

それでは!